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理事長ブログ

赤い首里城と、黒い松本城 ~鉄なき国の赤と、文化をつなぐ黒~

久しぶりに沖縄に行ってきました。あたたかい風、まぶしい海、どこかのんびりとした空気。
沖縄に流れる時間は、やっぱり特別です。
でも今回は、のんびりするためだけに行ったわけではありません。
2025年、戦後80年という節目の年に、「全国城下町シンポジウム」が那覇で開催されたのです。
このシンポジウムは、全国の“城下町”にある青年会議所(JC)が一堂に集まり、
歴史や文化、地域の未来について語り合う大切な場です。かつての激戦地・沖縄で、そんな未来の話をする。そのこと自体に、大きな意味があると感じていました。

僕が初めて沖縄を訪れたのは、高校の修学旅行でした。
観光だけでなく、「平和学習」の時間があって、戦争や基地のことを学びました。
修学旅行の委員長として、調べ学習や発表を準備し、代表でスピーチもしました。
何を話したかはもう覚えていません。
でも、「平和ってなんだろう」と本気で考えていた時間だけは、今でもはっきり覚えています。
基地のフェンス越しに見た軍用機、雨に濡れた慰霊碑、そして夜の浜辺で感じた静けさ。
高校生だった僕には、それがすべて不思議で、少しだけ怖くて、どこか寂しかった。
その寂しさの理由が当時はわからなかったけれど、今思えば、
あの場所で見た景色は「日本のいま」を映す鏡だったのかもしれません。

あのときの旅(修学旅行)は、僕にとっての“青春”でした。
まだ世の中のことはよくわからないけれど、わからないなりに一生懸命考えて、
自分の言葉で「平和」について語ろうとした時間。
それが、今でも心の中に問いとして残っていたのです。

そして今年、大人になった僕が、また沖縄に戻ってきました。
オープニング講演で知ったことのひとつに、こんな話がありました。
琉球には鉄鉱石がまったくなかった、ということ。
つまり、武器も農具も、自分たちでつくることができなかったのです。
「鉄は国家なり」と言われていた時代に、鉄がない国はとても弱かったはず。
でも琉球は、違いました。
鉄の代わりに、文化と知恵、そして人と人との信頼関係で国をつくっていった。
争うことよりも、つながることで豊かさを生み出してきた。
そんな琉球の姿は、今の時代にも通じる大きなヒントがあるように感じました。
昔の僕だったら、「へぇ、そうなんだ」と軽く聞き流していたかもしれません。
でも今は違います。“強さ”だけが、まちを守る力じゃない。
人の心を動かすもの、文化や誇り、絆こそが、未来をつくる鍵になる。
そう素直に思えました。
そして同時に感じることは、松本のこと。
松本も、特別な資源があるわけではありません。
でも、教育や芸術を大切にして、人と人との信頼のなかでまちを育んできた。
赤い首里城と、黒い松本城。色も歴史も違うけれど、その根っこにあるものは、きっと似ているんだなと感じました。

仲間と一緒に夜のバーベキューをしながら、笑い合い、語り合った時間は、まさに“今の青春”。
そして閉会式では、松本青年会議所の事業「知域王」が特別賞を受賞しました。
昨年の仲間と歩んだ1年間の挑戦が評価されたことが、とても嬉しかったです。

この旅にはいろんな想いがありました。
高校時代に感じた“問い”が、時を経て、またこの地で立ち上がってきた。
鉄がなくても、国はつくられる。
力がなくても、まちは育つ。
僕たちは松本で、文化と人のつながりを信じて、歩いていく。
そして今、2025年。
戦後80年という節目の年に、那覇でこのシンポジウムが開かれたこと。
そして訪れたこと。私に「次の問い」を投げかけている気がします。
そして、これから。
鹿児島・知覧と松本をつなぐ平和学習のプロジェクトが動き出そうとしています。
過去の記憶を未来へつなぐ、大きな節目の年にふさわしい“旅”が、また始まります。毎日が色のある日です。

松井くん、塚田事務局長、伊原副理事長、小岩井副理事長、倉科くん、太田くん、栗林くん。
そして那覇JCの玉城理事長をはじめ、開催に尽力してくださった皆さま。遠い地で、熱い想いを交わせたことに、本当ににふぇーでーびる。

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