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思いを繋いで 光輝燦然

内外から注目が集まる「周年」。

そこにはどんな意義があり、なんのために何をするのか。

第60代理事長の伊藤総一郎先輩と、第65代の澤地雅弘理事長が顔を合わせ、周年に寄せる思いを語り合った。紙幅の都合上割愛した個所も含め、WEBで全文を公開する。


まず、「周年」の意義をどのように捉えているか聞かせてください。

伊藤 三つあります。まず前年の59代・淺田孝理事長にご配慮いただき、「周年準備会議体」のような組織を作っていただきました。そこで何をしたかというと、過去の先輩がどんな活動をしてきた上で、現在の松本JCが成り立っているのか。それをみんなで共有し、その感謝を伝える場としました。次に、周年は対外的にも広く松本JCを知っていただけるチャンス。存在を広める1年にしたいというのが二つ目でした。

 私の中で一番大きかったのは三つ目。テーマを「繋ぐ」と設定しました。一生懸命打ち込む人も休みがちになってしまう人も、周年は明確な目標を持って一致団結できる機会。まずはメンバーと繋がって60周年に取り組んでいこうとしました。

澤地 「繋ぐ」はもちろん覚えています。あれから5年間繋いできたものを、さらに70周年へと繋ぎたい。本年度のテーマは「光輝燦然」。今年だけ輝いても意味がないので、「輝き続けよう」と意識しながら運動してもらっています。もちろん先輩方の功績に対する感謝を示すことも、対外的に運動を展開することも同じです。

 特に、60周年の翌年から23年途中まではコロナでした。ロックダウンの時期もあった中でも再びこうして運動ができているのも、繋いできたから。5年前のことをわからない人も、見たり聞いたりしてみんな考えを出してきてくれました。やはりそれができたのも長い歴史があるからで、素晴らしい団体だと感じました。

 その中で今年の運動としては「知域王」というカードゲームの制作。あとは田村淳さんをお招きして松本城に関する運動をして市民に投げかけていく。こうした動きを通じてさらに5年後に繋げていくことを大事にしています。

周年は節目であるがゆえに、一体感を高めやすい側面もあるのでしょうか。

伊藤 確かに気運は作りやすいんですが、意外と「周年」は迷わせるフレーズでもあるんです。私たちは別に周年のためにJCの活動をしているわけではなく、松本の地域がより良くするのが目的。それでも「周年」となると注目もされるし、「大きく、目立ったことをやらなければ」と焦るんです。

 でもある先輩が、「深く考えなくていい。普通の1年間の延長線上に周年があるから、やりたいことをきちんとやればそれが周年になる」と言ってくれたんです。「この松本地域をよくするために私たちが未来を描いていくのが目的。そこだけ外さなければ全然何やってもいいのだから、その年の主役の皆さんが精いっぱい活動できる素地だけを整えてあげればいい」と。そんな趣旨のことを言っていただき、気が楽になりました。

澤地 まさに同じことを言われた記憶があります。65周年の式典や祝賀会のために運動をするわけではないですし、この街にとってどういう運動ができるかを考えてもらいたいと。その根幹の部分は忘れないようにしています。

 ただやはり5年に1回の年なので、注目を浴びる部分もあります。予算がついて大きな事業をできる機会でもあるので、それは大切にしながら進めていこうとしていますね。

伊藤 当時は「周年の理事長さんは、好きなことができないからかわいそう」とよく言われました。でも心を軽くしてくれた先輩のアドバイスを受けてからは、好きなことをセーブせずにやろうと。1つの委員会で1つの周年事業をやるくらいの意気込みで進めたのでメンバーはみんな大変だったと思いますけど、それぞれの委員会が精いっぱい取り組んで作り上げてくれました。

 先輩方の功績に刺激を受けた部分もあります。例えばチャーター便を宮古島に飛ばそうと企画した時に、最初は周囲から「できるの?」と言われました。でも先輩方は韓国に飛ばしているので、僕らもやるしかない(笑)。

2019年のチャーター便は台風で欠航になってしまいましたよね…。

伊藤 チャーター便の欠航率はわずか7%という話だったんですが、私が雨男だったのが原因かもしれないです(笑)。宮古島に着陸するタイミングでそこに台風がいなければOKだったのですが、こればかりは仕方ありません。

 その時は本当に愕然としましたけど、翌年の小林篤史理事長が引き継いでしっかり2回飛ばしてくれました。もしかしたら最初に無事飛んでいたら「飛んだね」で終わっていたかもしれません。でもありがたいことに、「もっと内容を充実させよう」という気持ちで引き継いでくれたので、今思えば良かったのかもしれないですよね。

注目が集まるという部分で、プレッシャーも少なからずあるのではないかと推測しますがいかがでしょうか?

澤地 私も5年前を記憶していたので、伊藤先輩と同じように「今年の大概の事業は全部が周年事業なんだ」という話をして、みんなに頑張ってもらっているところです。とはいえこちらの立場からすると、「あれは大丈夫?これは大丈夫??」と心配になってしまう部分もあります(笑)。

 でもそこは彼らがいろいろと考えてくれているので、実際にどこかで火がついてすごくいいものを出してくれています。それは本当にうれしいですし、こちらもしっかり構えていなければいけないと思いました。「本当にこれ大丈夫なの?」という心配やプレッシャーは実際あるので少し大変ですが、委員長、副委員長以下みんながしっかり取り組んでくれているのでうれしく思っています。

前回の60周年の際は澤地理事長もメンバーとして参加していました。当時を振り返るといかがでしょうか?

伊藤 なかなか進まなかったのが「宣言文」と「ビジョン」でした。2021年に理事長を務めた和田元樹くんが実行委員長として担当したんですが、苦戦していましたね。とにかくメンバーを巻き込んで作ってほしい、という話を常々していました。

 というのも、2014年の55周年の時に「導(しるべ)」というものすごく分厚いボリュームの周年誌を発行しました。そうそうたるメンバーが集まって制作して、第1代の理事長から全て網羅している素晴らしい内容。ここで宣言文も変えているんです。

 その5年後だったので、先輩方からはいろいろご意見をいただきました。「こんなに素晴らしいものがあるのだから、君たちは作る必要はない」とか「いや、ちゃんとゼロの区切りで作った方がいい」とか。最終的には「僕らは新しいものにチャレンジしよう」ということで、次の宣言文とビジョンを作って、出させていただいたんですよ。相当なプレッシャーがあったのかなとは思います。

澤地 私も当時は和田実行委員長の委員会メンバーでしたから、よく覚えています。あとは弘前青年会議所との協定締結を担当していました。

伊藤 「けやぐ協定」ですね(けやぐ=津軽弁で「仲の良い友だち」)。あの年の澤地くんはそのミッションがあったのか。

澤地 はい。その後に弘前JCのメンバーと一緒に日本青年会議所に出向して、いろいろ学んできたというのが大きいと思います。

澤地理事長にとっては、60周年の時に経験したことが65周年の今期に生きている部分も多いのではないでしょうか?

澤地 やはり65周年を考えるに当たって原点に戻るのは、自分が経験した60周年のことになります。当時の伊藤先輩がどう考えて事業や式典を行ってきたのか、当時の資料を見ながら考えてきました。

 その中で60周年は、70周年までの10年間のビジョンを策定した年でした。だから5年経った65周年のいま、この先の5年間で、「愛されるまち」というビジョンをどうすれば実現できるかを常に考えています。それに基づいて所信表明をし、運動を企画しています。

 その意味でもやはり、60周年というのは自分にとっても非常に大きなターニングポイントだったと思います。

伊藤先輩から、澤地理事長に激励のメッセージをお願いします。

伊藤 多少の差はあれどプレッシャーは感じていると思います。過去の先輩方が積み上げてきたものを、どう次の世代にバトンを渡していくか。大きな仕事を背負っているし、周りから注目もされます。その中で少し心細くなったり迷ったりすることもあると思うんですが、ふと周りを見ると、素晴らしいメンバーがいるはず。彼らが絶対にやり遂げてくれると信じて、1年間を全うしていただけたらと思っています。頑張ってください。

澤地 ありがとうございます。5年前の伊藤先輩も同じようにやはりプレッシャーを感じていたんだな…と改めて思いました。責任ある立場なので、残りの任期も全力で努めていきます。

お二人からシニア会員の皆さんに向けても一言、思いを聞かせてください。

伊藤 当時は「創始の精神を繋いでいこう」というサブテーマも作らせていただいたんですが、こうして澤地理事長とお話して、5年が経った今も引き継がれていることを改めて感じることができました。安心というか、頼もしく思いました。きっと65周年も素晴らしいものになるのではないかと思います。

 あとは私の在任した時期よりも、松本の街にさまざまな変化が出てきているように感じます。松本PARCOは来年2月に閉店しますし、3月末には井上も営業終了。僕たちの精神的なシンボルのような存在がなくなってしまうのは、大きな変化だと思います。

 そうした課題に対しても、JCだからこそできる提案やアイデアがあると思うし、チャレンジ精神を忘れずに取り組んでくれると思っています。シニア会員の皆さんもぜひ見守っていただければと思います。

澤地 我々がすることはこの街のため、この街が豊かになること。そのためにどんな運動ができるかを考えてやっていきます。その中で、先輩が言われた松本パルコに関しても跡地利用ですとか、いずれそうした課題にも取り組まなければいけないと思います。

 変わっていくものがある一方で、逆にずっと変わらない部分も大切にしたいです。例えば城下町や、松本城などにもしっかり焦点を当て続けたいと思いますし、きっとこの運動はまた5年後にも続くでしょう。ぜひ期待していただければと思います。

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